死について

今日はTackyのブログを見たので死について書こうと思います。
もちろんテンションは低いです。


僕にとって死といえば、やっぱり祖父の死を連想させます。
うちの祖父は、2004年の7月に死にました。
その頃僕は、専門学校に通いながら祖父の家に下宿させてもらっていました。
祖父、祖母、僕の三人暮らしです。
とは言え、両親が住んでいる家から電車で一駅、自転車で15分の所なので土日には戻ったりしていました。

5〜6年ほど前から祖父は、ほぼ家の中で生活をしていました。
一日の半分近くをベットの上にいたので、足が弱っていたからです。
何年か前に起こした心筋梗塞が始まりでこうなったようです。
しかし寝たきりでは無く、階段の上り下りなどは無理ですが立って生活は出来ました。

トイレも一人で行けましたし、付き添いがいれば散歩も出来ました。少々、物忘れが多くなってはいましたがいたって健康でした。
毎週3回ほど決まった曜日に病院に行かせ、毎日医者から貰った薬を祖母が飲ませていました。朝昼晩に飲ませる薬の中には、精神安定剤や消化剤などもはいったようで、一日に10数種類ほど服用していたようです。

僕は、忙しい時は午前8時頃にでかけ午後12時ほどに帰っていたので、祖父と話せる時間はそれほど長くありませんでした。
学校を早めに切り上げれば、祖父と一緒に晩御飯なども食べられました。

タイミングが悪いと、祖父は朝も夜も寝ているのでまったく話せないことも少なからずありましたが、それが祖父宅に下宿している理由では無かったので、その頃は特に何とも思いませんでした。

今になって思うと、何だか損をしたような気がします。

こう書いていると、色々なことが思い出されます。
祖父は頭を撫でて上げるとすごく喜びました。
僕の名前も、最初は忘れていましたがちゃんと覚えなおしてくれました。
モスバーガーが大好きでした。
椅子に座り、ひざを組みながらウトウトする姿は可愛らしくもありました。
祖父の幼い頃の話も色々聞きました。
小さいオモチャがお気に入りだったらしく、テレビの上にいつも飾ってありました。しかも、気がつくと増えていたりしました。
そんなことをしながら、一年に満たない時間でしたが一緒に生活をしました。


2004年の6月の終わりか7月の初め頃。祖父が風邪を引きました。
予防接種は毎年していたのですが、生憎と別のウィルスで発病してしまったらしく年のせいもあり長引いてしまいました。
目に見えて衰弱するということは無く、堰と発熱を除けばいつもの祖父となんら変わりは無いように見えました。


祖父が死んだ前日。
祖母と父親の話し合いで、入院させる事になりました。
高齢のため、肺炎にでもなったら危ないのではないかと言うことでした。
僕が目を開けている祖父とあった最後の時は、ちょうど専門学校から帰宅する時で確か午後6時頃だったと思います。
祖父が、父に肩を背負ってもらってタクシーに乗るとこでした。

前々から事情は聞いていたので、僕はいってらっしゃいと言っただけでした。祖父は聞こえていなかったようで僕に気がつかず、父、祖母と共に病院に行ってしまいました。
父は、あとは宜しくと言い祖父宅で留守番をすることになりました。
その日は、父もそして見舞いに行った母と祖母も病院には泊まらず帰ってきました。

祖父は、病院で暴れたらしいです。
病院嫌いは知ってはいましたが、点滴のチューブを抜くは大声出すは暴れるはで、父も押さえつけるのに相当苦労したようです。


それから、約10時間後に死にました。
日も出ていない早朝のことです。
病院から連絡が入り、到着した時にはもう意識はありませんでした。
肺繊毛症と言う病気が原因だそうです。
それが、死にどう繋がるかは分りません。

結局、意識が戻りませんでしたが、最後はみんなに見守られて苦しまずに
逝ったようです
僕は祖父が死んだ後も手を握っていました。


あっけない。
非常にあっけない。
まさか、あの時が最後になるとは思いませんでした。
前日まで、一緒にご飯を食べました。
頭もなでました。
昔話も聞かせてもらっていたんです。
名前も呼んでくれました。
心臓が止まった後も、手は暖かいんです。
まだ、頭も温かかったです。


でも、その日の昼には冷たくなっていました。


どんな事を頭で考えても、どんな事を思っても、頭が悪いせいか割り切れません。
だからやっぱり、死とは悲しいものなんだなと思います。
僕は、思っていた以上に祖父の事が好きだったようです。


死というより、祖父の思い出話になってしましたw